Sora 2が日本の宝を食い物にする?OpenAIの著作権ダブルスタンダード

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すごい!でも、ちょっと待って。

OpenAIが動画生成AI「Sora 2」を先日発表し、SNSはまさに「お祭り騒ぎ」になりました。X(旧Twitter)には、まるでプロが作ったかのような、信じられないほどリアルで美しい動画が次々と投稿され、誰もがその技術力に驚きました 。サイケデリックな森や、月面から語りかけるCEO(サム・アルトマン)の動画まで登場し、誰もが「すごい時代が来た!」と感じたはずです 。

しかし、この華やかな技術革新の裏側で、日本のクリエイターたちが生み出してきた大切な作品、つまり知的財産(IP)が、意図的に軽視されているという、非常に心配な現実が隠されています。

このレポートで明らかにしたいのは、OpenAIが採用している「ダブルスタンダード」、つまり二枚舌のポリシーです。簡単に言うと、人の顔や声といった「個人の権利」はしっかり守るのに、アニメや漫画のキャラクターといった「作品の権利」は野放しにしている、という問題です 。  

人の顔を無断で使われないように「カメオ」という厳格な本人確認システム(オプトイン方式)を導入している一方で、著作物については「問題が起きたら権利者が削除を求めてください」という、クリエイターに負担を強いるシステム(オプトアウト方式)を採用しているのです 。これは単なる偶然ではありません。法的なリスクを巧みにかわしつつ、AIの性能を上げるために、計算され尽くした戦略なのです。  

その結果、Xでは日本の有名アニメのキャラクターを使った動画が、一部のユーザーによって無邪気に、そして無神経に投稿され、楽しまれています。しかし、これは単にユーザーのモラルの問題ではありません。OpenAIが作り出した「無法地帯」とも言えるシステムが、この状況を引き起こしているのです。

「あなたの顔は守るけど、作品は別」という理屈

OpenAIがSora 2で採用しているルールは、一見すると公平に見えますが、よく見ると「個人の権利」と「企業の権利(著作権)」をわざと区別し、全く違う基準を適用する二重構造になっています。このアンバランスなやり方から、OpenAIのリスク管理戦略とビジネス上の本音が透けて見えます。

「カメオ」機能:厳重に守られる個人の顔(オプトイン方式)

まず、個人の顔や声、いわゆる「ライクネス」の保護について見てみましょう。OpenAIはここで、「カメオ」という非常に厳格な、本人の同意を必須とする「オプトイン」システムを採用しています 。ユーザーが自分の姿をAI動画に登場させるには、身元確認をクリアしなければなりません。これには、なりすましを防ぐため、ランダムな数字を読み上げたり、頭を動かしたりする「ライブネスチェック」という手続きまで含まれています 。  

一度カメオを作ると、その顔が使われた全ての動画の「共同所有者」となり、いつでも許可を取り消したり、動画を削除したりできます 。さらに重要なのは、有名人や公人については、本人が自らカメオを作らない限り、他の誰もその姿を生成できないようにブロックされている点です 。この仕組みは、OpenAIがやろうと思えば、許可を大前提とした強力な保護システムを技術的に作れることを証明しています。  

著作権ポリシー:クリエイターに丸投げ(オプトアウト方式)

これほど厳重な個人の権利保護とは対照的に、著作権で守られた作品に対するルールは、驚くほど緩い「オプトアウト」方式です。これは、「問題が起きたら後から教えてください」というスタンス。OpenAIは、映画会社などの権利者に対して、彼らが自ら「うちの作品は使わないで」と申請しない限り、Soraが彼らの作品に似たコンテンツを生成する可能性があると、はっきり伝えています 。  

さらに厄介なのは、OpenAIが「うちの会社の作品全部を使わないで」というような、包括的な申請を受け付けない方針であることです。権利者は、自社の全作品を一度に守ることはできず、侵害が起きてから一つひとつの事例について違反を報告し、削除を要求するという、非常に面倒な作業を強いられます 。このルールは、著作権侵害を防ぐ責任を、プラットフォームであるOpenAIからクリエイターや権利者に丸投げするものです。これは、自社の法的な面倒を避けつつ、AIが使えるコンテンツを最大限に増やすために設計された、極めて戦略的なシステムと言えるでしょう。  

「ライクネスと著作権は別問題」という言い分

このダブルスタンダードを正当化するため、OpenAIの最高戦略責任者(CSO)であるジェイソン・クォン氏は、「ライクネスと著作権は別個のものとして扱うのが我々の基本方針だ」と述べています 。  

しかし、この区別は倫理的な考えに基づくものではなく、非常に現実的な計算の結果です。個人の顔を無断で使ったディープフェイクや嫌がらせは、誰が見ても深刻な被害だとすぐに分かります。これらは厳しい法的罰則や、会社の評判を地に落とすような社会的な非難に直結する大問題です 。世間の反発も大きいため、OpenAIは最も分かりやすく危険なリスクを避けるために、「オプトイン」という名の鉄壁の守りを固めたのです。  

一方、著作権侵害の被害は、少し分かりにくく、企業同士のビジネス上の争いと見なされがちです。「フェアユース(公正な利用)」という曖昧な法律の解釈をめぐって、裁判は複雑になり、時間もかかります 。だからこそOpenAIは、この分野ではある程度のリスクを覚悟の上で、裁判で勝てる、あるいは影響を軽くできると考えているのでしょう。その結果、AIの「エサ」となるコンテンツを最大限確保するために、クリエイターにとって非常に不利な「オプトアウト」システムを採用したのです。これは、すべての権利を平等に尊重するのではなく、会社の損得勘定で権利保護のレベルを変えるという、冷静なリスク管理戦略の表れに他なりません。  

なぜマーベルはOKで、ドラゴンボールは野放しなのか?

OpenAIが作ったこのアンバランスなルールは、机上の空論ではなく、現実の世界でハッキリとした格差を生み出しています。特に、豊富な資金力と法務チームを持つアメリカの巨大IPと、そうではない日本のIPとの間で、守られ方に大きな差が出てしまっているのです。

守られるIP、狙われるIP

Sora 2の保護システムは、すべての作品を平等に扱っているわけではありません。むしろ、その場しのぎの「つぎはぎ」だらけの状態で運用されているのが現実です。

守られる側(米国の有名IP): 報道によると、ディズニーのようなアメリカの大手スタジオは、Sora 2のリリースに際して素早く動き、「うちの作品は使わないで」とオプトアウトを申請しました 。その結果、ミッキーマウスやバットマンといった有名なキャラクターを生成しようとすると、ブロックがかかることが確認されています 。これは、交渉力と専門家チームを持つ大企業が、OpenAIに事実上の保護を強制できることを示しています。  

狙われる側(日本のIP): それとは対照的に、日本の有名な作品のキャラクターは、ユーザーによって自由に生成され、SNSで拡散されています。Xなどでは、『ドラゴンボール』、『NARUTO -ナルト-』、『機動戦士ガンダム』、『ポケットモンスター』、『呪術廻戦』といった、世界的に人気の日本のIPを使った動画が、数えきれないほど投稿されています 。これは、多くの人が心配していた事態が、すでに現実になっていることを示しています。  

矛盾だらけのブロック基準: さらに奇妙なのは、同じディズニーが権利を持つIPでも、扱いが一貫していない点です。例えば、ミッキーマウスはブロックされるのに、『ファミリー・ガイ』という別のアニメのキャラクターは生成できた、という報告もあります 。これは、OpenAIの保護システムが体系的ではなく、最も有名で訴訟リスクの高いIPに対して、場当たり的に対応している可能性を示唆しています。  

SNSでのお祭り騒ぎ:誰がこの無法地帯を作ったのか?

OpenAIが作り上げたシステムは、SNS上で著作権侵害を当たり前のことにしてしまい、さらにはそれを「お祭り」のように楽しむ文化を助長しています。これは、一部のAI情報発信アカウントの行動を見れば明らかで、多くのユーザーが当初から抱いていた怒りを裏付ける現象です。

何が起きているのか

Xのようなプラットフォームでは、AI関連の情報を発信するアカウントが、Sora 2を使って『ドラゴンボール』などの日本の有名IPを題材にした動画を生成し、「楽しい」「すごい」といったコメントと共に投稿する光景が日常茶飯事となっています 。これらの投稿の多くは、著作権の問題には一切触れず、純粋な技術の進歩として、あるいは単なる娯楽として消費されています。この行為は、著作権で守られた創造物を、AIを動かすための単なる「データ」へと貶め、その文化的な価値や商業的な価値を無視するものです。  

「技術が全て」という危険な思想

この現象の背景には、「プロンプティズム」とでも呼ぶべき、一部のAIコミュニティに根付く思想があります。これは、倫理や法律よりも、AIの技術的な能力を絶対視し、それを自慢することに価値を見出す文化です。この考え方の中では、クリエイターが長年かけて生み出した文化的な財産が、AIを操作するための単なるデータや命令文(プロンプト)へと格下げされてしまいます。キャラクターのデザイン、物語の背景、作者の想いといったものは忘れ去られ、ただAIがそれをどれだけうまく再現できるかという点だけが評価されてしまうのです。

炎上を設計したOpenAI

このようなユーザーの行動は、決して予期せぬ副作用ではありません。それは、OpenAIが設計したプラットフォームが必然的にもたらした結果です。デフォルト設定を「許可不要」とすることで、OpenAIは著作権侵害を暗黙のうちに後押しし、それが普通の行為であるかのような環境を作り出しました。ユーザーはただ「楽しんでいる」だけではありません。彼らは、クリエイターの努力の価値を踏みにじるシステムを、知らず知らずのうちにテストし、その普及に手を貸しているのです。

このSNS上での熱狂は、OpenAIにとって非常に都合の良い状況を生み出します。まず、ユーザーが大量の侵害コンテンツを作ることで、「Sora 2はすでに世の中に広まっている」という既成事実が作られます。こうなると、政府や裁判所も「みんなが楽しんでいるツールを今さら規制できない」と介入しにくくなります。

次に、大量に生成される「AIスロップ(AIのゴミ)」 は、権利者が「モグラ叩き」で対抗することを非常に困難にし、オプトアウト・システムの無力さを際立たせます。そして最終的に、OpenAIは、このユーザーの行動を「ファン活動」や「創造的な表現」といった、聞こえの良い言葉でごまかすことができます 。自らが作り出した無法地帯で起きている問題を、クリエイターからの批判をかわすための盾として利用するのです。この巧妙なサイクルによって、侵害行為は当たり前になり、OpenAIの立場はますます強固になっていくのです。  

OpenAIの言い分、本当に正しい?

著作権侵害に対する批判に対し、OpenAIは自社のビジネスモデルを正当化するために、法律、政治、社会の各方面で、周到な言い訳を用意しています。しかし、これらの主張をよく見てみると、多くの矛盾点が見えてきます。

「フェアユース」という名の賭け

OpenAIの法的な防御の要は、「フェアユース(公正な利用)」という考え方です。同社は一貫して、AIの学習(トレーニング)のために著作物を使うことはフェアユースの範囲内だと主張しています 。この問題は、ニューヨーク・タイムズ紙が同社を訴えた裁判の大きな争点にもなっています 。  

しかし、この主張には大きな問題があります。AIの利用は、「学習(入力)」と「生成(出力)」の二段階で考える必要があります。学習段階の合法性については議論が続いていますが、問題は出力段階です。Sora 2が生成した動画が、元の作品とそっくりだったり、元の作品の市場を奪うようなものであったりする場合、フェアユースの主張は非常に弱くなります。「ドラゴンボールZ風」の動画を生成する行為は、公式のドラゴンボールZのコンテンツや関連商品の市場を直接脅かす可能性が非常に高いからです。

「国家安全保障」という煙幕

OpenAIは、法廷での争いと並行して、政治的なロビー活動も積極的に行っています。その中で最も悪質とも言えるのが、「国家安全保障」を持ち出す主張です。同社は米国政府に対し、AIの学習にフェアユースを適用することは、中国との技術競争に勝つために不可欠な「国家安全保障上の問題」だと公然と訴えています 。  

これは、愛国心に訴えかけることで、単なるビジネス上の著作権問題を、国家間の競争という大きな話にすり替えようとする、ずる賢い試みです。この理屈が通ってしまえば、クリエイターの正当な権利は、OpenAIという一企業の利益のために、そして「国のため」という大義名分のもとに犠牲にされてしまいます。これは、自社の利益のために、国家の安全保障という大切な概念を利用する行為に他なりません。

自分の権利は守るという矛盾

OpenAIの主張が、一貫した原則ではなく、ご都合主義に基づいていることを最もよく示しているのが、自社の知的財産が関わったときの態度の変化です。OpenAIは、中国のAIスタートアップであるDeepSeekが、自社の利用規約に違反してChatGPTのデータを不正に利用し、競合モデルの学習に使ったとして非難しています 。  

ここには大きな矛盾があります。他人のデータを使う際には許可不要の「フェアユース」を声高に主張する一方で、自社のデータを守るためには厳格な許可ベースのルールを強制する。これは、OpenAIの議論が、普遍的な原則ではなく、自社の競争上の優位性を確保するための戦略的な道具に過ぎないことを物語っています。

これらの言い分は、それぞれが独立した言い訳ではありません。それらは、OpenAIのビジネスモデルを後から合法化するための、連携したキャンペーンの一部なのです。法廷で勝つための「フェアユース」という法的戦線。裁判の結果を無意味にする有利な法律を作るための「国家安全保障」という政治的戦線。そして、侵害行為を当たり前にして世論を味方につけるための社会的戦線(第3章で詳述)。これらはすべて、テクノロジー企業が世界のクリエイティブな作品を、許可も対価もなしに利用する権利を確立するという、一つの壮大な企業戦略のために動いているのです。

対岸の火事じゃない!日本のクリエイターが直面する危機

OpenAIのSora 2がもたらす問題は、世界的な課題ですが、特に日本にとっては、その経済と文化の根幹を揺るがしかねない、非常に深刻な脅威です。

日本の文化と経済への打撃

日本の経済や国際的な影響力は、アニメ、漫画、ゲームといった知的財産の輸出に大きく支えられています。これらの最も価値ある文化資産が、Sora 2のようなツールによって許可なく、しかも大規模にコピーされたり真似されたりすることは、このビジネスモデルそのものを脅かす、非常に深刻な問題です。

問題は、単にキャラクターがコピーされることだけではありません。特定のアーティストの「作風」や「スタイル」そのものが真似されるという、もっと根深い脅威があります 。クリエイターにとって、独自のスタイルはキャリアそのものであり、アイデンティティの核です。これがAIによって簡単に再現できてしまえば、個々のクリエイターの価値は大きく損なわれ、創作意欲を失ったり、仕事を失ったりする可能性があります 。日本のクリエイターや業界団体は、こうした事態に強い懸念を示しています 。

日本の著作権法は「無法地帯」ではない

一部では、日本がAI開発にとって規制の緩い「AI天国」だという誤解が広まっていますが、これは正しくありません。日本の著作権法には、情報解析を目的とした利用に関する例外規定がありますが、それは著作権者の利益を不当に害さないことが大前提であり、何でも無制限に利用して良いというわけではありません 。  

重要なのは、AIが生成した「出力(アウトプット)」が既存の作品と似ている場合、それは著作権侵害になりうるということです 。現在、日本政府の文化審議会では、生成AIと著作権に関する議論が活発に行われており、クリエイターからは規制強化やルールの明確化を求める声が多数上がっています 。OpenAIのやり方は、世界的に許容されているものではなく、各国の法律の曖昧な部分を突き、意図的にルールを自分たちに都合よく変えようとする試みと言えるでしょう。  

今こそ、業界が一つになるとき

OpenAIのような巨大企業に対し、個々のクリエイターが立ち向かうのは非常に困難です。この不公平な戦いにおいて、唯一の有効な対抗策は、業界全体が団結して行動することです。アメリカの脚本家組合や俳優組合が、ストライキを通じてAIに関する厳格なルールを勝ち取ったように 、日本のアニメ、漫画、ゲーム業界もまた、これまでの垣根を越えて連携する必要があります。  

具体的には、業界団体が共同で、OpenAIに対して包括的なオプトアウトを要求したり、正当な対価を支払うライセンス契約の締結を求めたりするなど、集合的な交渉力を行使することが不可欠です。

このSoraを巡る問題は、日本のクリエイティブ産業にとって大きな危機であると同時に、変化のきっかけとなる可能性も秘めています。これまで、日本のアニメ、漫画、ゲーム業界は、それぞれが独立して活動することが多かったかもしれません。しかし、Soraがもたらす脅威は、特定の業界に限りません。あらゆる漫画家のスタイルを真似し、あらゆるキャラクターをアニメ化し、ゲームのような映像を生成できるこの技術は、メディアの垣根を越えた共通の脅威です。

この危機感を共有することで、業界が縦割りの構造を乗り越え、AIポリシーに関する統一された戦略を共同で築くことができるかもしれません。長期的には、これにより業界横断的なクリエイター連合が形成され、国内外のAI政策において強力な発言権を持つようになる可能性もあります。そうなれば、日本はAI時代におけるクリエイターの権利を守る、世界的なリーダーになることさえできるかもしれないのです。

結論:日本は舐められている。黙っていてはいけない

このレポートで見てきたように、OpenAIのSora 2は、意図的に作られたダブルスタンダードと、自社に都合の良い言い訳によって、知的財産の体系的な侵害を助長する製品です。そして、その最初の、そして最も大きな被害者となっているのが、日本のクリエイティブな作品たちです。クリエイターに一方的な負担を強いる「オプトアウト」モデルは、持続不可能であり、略奪的とも言える基準であり、決して容認されるべきではありません。

X上で『ドラゴンボール』のAI動画が楽しまれている光景は、単なる一部ユーザーのモラルの問題ではありません。それは、OpenAIのような巨大IT企業が推し進める「技術のためなら何でもあり」という思想の表れです。

技術革新のためだからといって、日本の一大コンテンツであるアニメや漫画が好き勝手に利用される現状に、日本のクリエイターは黙っているべきではありません。
声を上げ、搾取される現状を破壊すべきだと私は考えています。

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